ただ、それだけの理由

 気がつくと、見知らぬ場所にいた。どうやらどこかの街道のようだが、何故この地にいるのか記憶がない。
 空気中を漂うマナの性質がシルヴァラントやテセアラのそれと違う。おそらく“どこか”に迷いこんでしまったのだろう、と仮説を立てる。長く生きているおかげで、何度かそういう事象は体験している。邪悪な気配は感じられないので、魔界やそれに類する空間でないことは分かる。当面の大きな危険はなさそうだ。
 周囲を見渡して、驚愕する。近くに人間が仰向けに倒れている。遊び人風の派手な服装の若い男。白い肌に、癖のある長い紅の髪。
 まさか、そんなはずはない。天使化によって強化された視覚でその姿をはっきりと捉えているはずなのに、私はそれを信じられないでいた。夢か幻を見ているのではないか、と己の目を疑う。
 意を決して、その人物に近寄る。そこに倒れていたのはやはりと言うべきか、テセアラの神子ゼロス・ワイルダーだった。
 その場にしゃがんで、神子を抱き起こす。呼吸は正常だ。生きている。どこにも傷はないし、熱もない。どうやら気を失っているだけのようだ。
 何故だ。どうして“この神子”がいるのだ。
「神子、起きろ。……ゼロス!」
 呼びかけて頬を軽く叩くが、目を覚ます気配はない。困ったことになった。私一人ならどうとでも対処するつもりであったが、他にも迷い込んでいる人間がいるならば話は別だ。ここがどういう世界、または空間か分からない以上、神子が本物であれ偽物であれ、このまま放置するわけにはいかない。ひとまず神子を安全な場所へ移さなければ。
 神子を横抱きにして立ち上がり、己の可聴域を操作する。数キロ先に街があるようだ。少なくとも私たち以外の人間が存在している。
 そして街とは逆方向、数十メートル先から一人分の足音。人の目がないのならば、このまま飛んで街を目指そうと思っていたが、そうもいかないらしい。
 何者かがやってくる方向――小高い丘になっている――を見据える。しばらく待っていると人影が姿を現した。あちらも気付いたらしい、小走りでこちらに駆け寄ってくる。背が高く、体つきもしっかりした男だ。大剣と銃を携えている。戦い慣れしているようだ。
「やっと人に会えた。見渡す限り何もないから、かなり焦ったぜ」
 男はアルヴィンと名乗った。今のところ敵意はないようなので、私も名乗る。意識のない神子の名も教える。テセアラでは有名人である神子の名を聞いても、特に驚いた様子はない。状況から見て、別の世界の人間だろう。
「おたくら、どこから来たんだ?」
「気付いたらここにいた。ここがどこか知っているか?」
 私の問いに、アルヴィンは首を横に振る。
「残念ながら、俺も似たようなもんだ。街なりなんなり落ち着ける場所があるなら、あんたに教えてもらおうと思ったんだが……」
「街ならこの先にあるようだ。私たちもこれから向かうところだった」
「え? 分かるのか? ここからじゃなんにも見えないぜ?」
「……少し前に案内板があった」
「ふーん?」
 アルヴィンは怪しんでいるのか、こちらを値踏みするようににやにやと笑っている。
 我ながら苦しい嘘だとは分かっている。しかし、別の世界の人間に天使などと言っても余計に怪しまれるだけだ。現時点で説明する必要性は感じない。
「まあ、街があるなら別になんでもいいが。同行してもいいか?」
「構わん、好きにしろ」
「じゃ、お言葉に甘えて」
 神子の様子を窺う。相変わらずその目は固く閉じられていて、当分起きそうにない。幼いころから命を狙われ続けた神子は、他人の気配にはかなり敏感だったはずだ。この状況は非常に珍しい。静かにしていれば整った顔立ちをしているのだと改めて思う。
「ゼロス、だっけ? そっちの美人さんは、具合でも悪いのか?」
 そんなことを言いながらアルヴィンが神子の顔を覗きこむので、思わずその視線から神子を遠ざける。
「眠っているだけだ。しばらくすれば起きるだろう」
「案内してもらう代わりに、護衛してやるよ。あんたも腕は立つんだろうが、お姫様抱えた状態じゃ戦えないだろうしな」
 そうだな、と答える。“お姫様”というのは神子への揶揄だろう。姫扱いなど、本人が聞けば怒り出しそうだ。寝ていて良かった。
 街まで伸びる道を歩き出そうとすると、アルヴィンから「ちょい待ち」と声を掛けられる。
「そのまま運ぶ気じゃないよな?」
「何か不都合でも?」
「……さすがにお姫様抱っこはアレだろ」
 せめておんぶにしてやれ、と提案されたので言われた通りにする。アルヴィンも神子を背負うのを手助けしてくれた。
 背中に神子の体温と重さを感じながら、今度こそ私たちは歩き出した。
「まさか、皮肉が通じないとは思わなかったぜ」
 小さくアルヴィンが呟いた。誰にも聞かせるつもりはない独り言だろうが、強化された聴覚は一言一句に至るまで拾ってしまう。
 どうやら“お姫様”発言は神子に対してではなく、私に向けられた揶揄だったらしいことに、今さら気付いた。



 意識を取り戻した神子は、私を見るなり目を見開き、そしてすぐに不機嫌そうに眉根を寄せる。
「……なんであんたが」
 それはこちらの台詞だとは言わず、軽く状況を説明してやる。ロイドたちが周辺にいなかったことを告げると、
「え~……もしかして俺さま、捨てられちゃった?」
 ふざけたように言うが、その声には落胆の色が混じっている。
「ロイドは一度拾ったら、最後まで面倒を見るたちだろう」
「俺さま、野良猫じゃねーんだけど」
「……フ」
 ――野良猫ほど扱いやすければ、どれほど良かっただろうか。それも言葉にはしないが。
 神子は自分の見覚えのない街並みに、ここはテセアラではないと判断したようだ。シルヴァラントのどのあたりなのかと尋ねられる。
「残念だが、ここはシルヴァラントでもテセアラでもない」
「はあ?」
 詳しく説明しようとしたところで、アルヴィンが乱入してくる。
 アルヴィンの登場で“ひと悶着”あったが、どうにか話を戻すことに成功する。ここが異世界だということ、そう判断するに至った根拠を今まで寝ていた神子に説明する。
 そして私たちが置かれている状況を整理し、今後の方針を立てる。ひとまずはここがどういう世界なのか、どういった理由で私たちが喚ばれたのかを調査することになった。
 話し合いが終わった後、私はアルヴィンに席を外してくれと頼んだ。全面的に信頼を置けるかと問われると、怪しい男ではある。だが利害が一致している限りはこちらに剣を向けることもないだろう。寝首を掻かれぬよう、目を光らせていればいいだけの話だ。
「で、俺さまに何か用?」
「ああ。――神子、元の世界の記憶はどこまである?」
 私は単刀直入に尋ねた。
 私が元の世界にいた時の最後の記憶は、トレントの森だ。オリジンの封印の前で、ロイドたちが来るのを待っていた。
 この神子が、私の“知っている”神子であるならば、私と同じ時期の記憶を持っているはずがない。
 ――なぜならば、私の知っている神子ゼロスは、もう既にこの世にいないからだ。
 神子は昔から他人を試すような言動が多かった。相手の反応を見て、自分に利用価値がある人間かどうか秤にかけていた。それが神子なりの処世術だった。
 私もその生き方を否定するつもりはない。というよりは、できなかったと言う方が正しい。
 神子がそんな生き方をするようになってしまったのは、我らクルシスのせいだ。元凶である私が何を言ったところで、神子の心には何一つ響きはしなかっただろう。
 そんな神子がロイドと出会い、少しずつではあるが変わってきた。利用価値云々ではなく、ロイド個人を見るようになった。本人すら気付いていなかったかもしれないが、その変化は私にとっては喜ばしいものであった。
 しかし、神子は死んだ。心では間違いなくロイドに惹かれていたはずなのに、ロイドと決別する選択をした。ロイドたちを裏切り、戦い、そして死んだ。
 それが私の知るゼロス・ワイルダーだ。
 ならば、目の前にいるこの男は“誰”だというのだ。私が記憶する時間より前の時間から来た存在なのか、それとも――。
 神子はその質問になんの意味があるのか、と訝しげだったが、素直に答える。
「ヘイムダール。次の日にはオリジンを解放するため、あんたをぶっ飛ばしに行く予定だった」
 同じだ。私と同じ時期に喚ばれている。その時期にはもう、神子は死んでいたはずなのに、この神子は自分が知りえないはずの記憶を持っている。
 神子は指先で髪を弄りながら、不満げに言う。
「世界が平和になったらロイドくんと旅に出ようって約束までしてたのに」
 異世界なんかに迷いこんで、おまけにあんたと一緒だなんて、本っ当にツイてねーわ! あーあ、などと嘆息している。
 違う。この神子は、私の知っている神子ゼロスではない。この神子にはロイドに殺された記憶がない。いや、このゼロスはそもそも殺されていない。
 ロイドを裏切って死を選んだゼロスではなく、ロイドと共に歩むことを選んだゼロスだ。
「あんたは? 記憶どこまであんの?」
「……私も同じだ。オリジンの封印の前で、お前たちを待っていた」
 一体、どちらが正しいのか。私が異端なのか、このゼロスが異端なのか。そんなことは些末なことだった。
 私の居た世界では結局、ロイドが差し出した手をゼロスが取ることはなかった。この世界ではそれがやり直せるのだと言われた気がした。
 どういう形であれ、こうして生きている――生きることを選択したゼロスが目の前にいるのだから。



 三人で情報収集の旅を始めてから、しばらく経った。
 最初はこの面子でどうなることかと思っていたが、それなりに馴染んでいるのではないかと思っている。アルヴィンは案外面倒見がいいので、神子もアルヴィンに懐いている。戦闘面でも粗は目立つが、連携が少しずつ取れるようにはなってきた。
 ある程度調査も進み、我らが具現化された存在だということが判明した。元の世界から直接召喚されたわけではなく、元の世界の情報を写し取って生み出された存在というべきか。造り物だとしても、姿も記憶も“本人そのもの”らしいので、私とゼロス、どちらかが間違っているというわけではないようだ。
 ただ、気になることが一つある。神子が天使体で戦うところを一度も見たことがないのだ。
 繁栄世界の神子は、衰退世界の神子のように儀式をしなくても天使化できる。天使化をすれば身体能力が向上し、戦闘においても優位に立てる。
 基本的に利用できるものは利用する主義の神子ならば、使うものだと思っていたのだが。ハイエクスフィアを持っていないのか、あるいは我らクルシスに対する負の感情が邪魔をしているのかもしれない。
 何故天使体で戦わないのかと尋ねたら、神子は虚を衝かれたように、
「っていうか、俺さまって天使化できるの?」
 と答えた。本当に知らないといった顔だった。
 いや、知らなくて当然か。今までその力を使う“機会がなかった”のだから。私はその返答にどこか安堵していた。
 同時に、知らないならば天使の力を正しく使えるように教えてやらなければならない、と考えた。天使体は戦闘技術として開発されたこともあり、使い方さえ誤らなければ非常に強力な武器となる。いつでも私が守ってやれるとは限らない。いざというとき、自分の身を守れるものは一つでも多い方がいい。
 天使化の訓練を提案すると、神子はなんとも言えない表情で渋々ながら了承した。
 しかし、それが要らぬ引き金を引いてしまったようだ。
 天使化したままでの戦闘訓練で、神子は十分もしないうちに倒れてしまった。おかしい。天使化してすぐは急激な変化に体が馴染まないため、調子を崩すことはよくあることではあるが、いくらなんでも早すぎる。
「おい、大丈夫かゼロス!」
 アルヴィンが慌てて神子に駆け寄り、助け起こす。私も傍へ行く。
 荒い息をしながら、神子がうっすらと目を開け、こちらを見る。手を伸ばし、私の服を掴む。
「……ロイ、ド……」
 呼んだのは私の息子の名だ。今のゼロスには、私がロイドに見えているのかもしれない。
 私ではなく、ロイドに向けて何事かを話そうとしている。
「どうした、ゼロス」
 とっさにロイドのふりをして、耳を傾ける。
「……ちゃんと、俺のクルシスの輝石こわせ、よ……」
「……!」
 それだけを言うと、神子はそのまま気を失ってしまった。
 この言葉はおそらく今際の際の、ロイドに殺されたときの記憶だ。どうして“このゼロス”がその記憶を持っている? 知っているはずなどないのに。
 私が呆然としている間に、アルヴィンは神子を背負う。
「かなりひどい熱だ。おたくに訊きたいことはいろいろあるが、とにかくゼロスを宿屋まで運ぶぞ」
「……ああ」



 神子を宿屋へ運び込み、ベッドで休ませる。天使化の副作用で体調不良を起こしていると推測されるが、それにしても異常だ。
 未だ熱が上がり続けているのか、苦しそうに息をしている。顔や体に浮いた汗を清潔な布で拭ってやっていると、水を取り替えに行っていたアルヴィンが戻ってきた。
 水桶を受け取り、サイドテーブルに置く。布を浸して神子の額に載せてやる。
 当面やることがなくなったのを見届けてから、アルヴィンが口を開いた。
「こいつ、『俺のクルシスの輝石壊せ』って言ったよな? あれはどういう意味だ、クラトス?」
 もはや言い逃れはできないのだろうと悟る。アルヴィンは普段は一見ふざけているようだが、それでいてかなり聡い。いたずらに誤魔化して不和を招くよりは、正直に打ち明けた方が良い。あまり気は進まぬが仕方がない。
「……あれは、神子が死んだ時の記憶だ」
「死んだ?」
 私の知る元の世界では神子が既に死んでいること、しかしこの神子にはその記憶はないことを告げる。
「それは、違う時間軸から具現化されたってことか?」
「いや、以前これにどこまでの記憶があるのかを尋ねたが、私とほぼ同時期に具現化されているようなのだ」
「はあ? どういうことだよ?」
「パラレルワールドという概念は分かるか? 世界本来の歴史から枝分かれした世界、と言うべきか……全く同じような世界に見えて、何かが決定的に違うのだ」
 ゼロスが死んでしまった世界と、死ななかった世界。私は前者から具現化され、このゼロスは後者から具現化された。
「その理屈だと、こいつが死んだ時の記憶を持ってるのはおかしいだろ?」
 あくまでも仮説だがと前置きして、私はアルヴィンの疑問に答える。
 私は、このゼロスが自分の世界のゼロスとは全く別の存在だと思っていた。しかし、その考えは間違っていた。どの世界でもゼロス・ワイルダーという本質自体は同じなのだ。それは私やアルヴィンも例外ではない。
 いずれかの世界では選ばなかった道を、いずれかの世界では選んだ“だけ”の話。たったそれだけの違いが、運命を大きく変えてしまうこともある。パラレルワールドには数多の我らが存在するのだろう。その数多の“可能性”を、この世界――ティル・ナ・ノーグは全て写し取ってしまう。
「具現化されたことによって世界線が混じり合い、神子の中には死んだ記憶も内包されているのだろう。普段それが表面化することはないようだが、何かきっかけがあれば……」
「そのきっかけってのが、天使化か」
「そういうことになるな。だが、神子にとっては知るはずのない記憶だ。次に起きたときには、何も覚えてはいまい」
 このように倒れたということは、今のゼロスにとって、ロイドに殺されたことは受け入れがたいからだ。己の知らぬ凄惨な記憶に、拒否反応を起こしているからだ。そうであってほしいと願う。
 だからこそ、ゼロスには死んだ記憶を呼び起こさせたくない。生きることを選んだゼロスのままでいてほしい。
「神子には黙っていてもらえないだろうか?」
「分かった」
「すまない。礼を言う」
「礼を言われるほどのことでもないって。俺こそ根掘り葉掘り聞いて悪かったな」
 ああそういえば、とその場の空気を変えるようにアルヴィンが明るいトーンで切り出してくる。
「ロイドってのは仲間だったっけ?」
 これまでの旅路でも幾度となくロイドの名は私や神子の口に挙がっていた。他の仲間の話題もしていたはずだが、神子はロイドの名を一番出していた。
「ああ、私の息子だ。このゼロスとは、おそらく恋仲だ」
 その答えに、アルヴィンの目が驚きに見開かれる。
「え? もしかして修羅場? 親子で神子様の取り合い?」
「……何を言っている?」
 私は幼いころから神子を見てきている。神子に向ける感情は、自らの息子に対するそれに近い。ましてや、その息子の恋人ともなればなおさらだ。私を嫌っている神子に知れれば、烈火のごとく怒られるだろうが。
 ロイドがゼロスを手にかけずに済んだ。ゼロスがロイドの手を取った。たとえ自分の世界のことではなくとも、我らが本物を写し取っただけの存在に過ぎないとしても、私が知りようのなかった“可能性”をこの目で見たいのだ。
 ――ただ、それだけの理由だ。

(2019.09.22)

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